みんなちがって、みんないい??????

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こんにちは、

ナリソーです。これ自分で言うのめちゃくちゃ違和感あります。

 

タイトルにもあるように、今回は

「みんなちがって、みんないい」

について書こうと思います^^

 

金子みすゞさんの詩にある有名なフレーズです。

いい言葉ですよね。

 

僕にとってははこの言葉は

少々きれいすぎ&眩しすぎますが…

 

実際どうなんでしょうか?

 

この言葉が言いたい本質を抽出すると

多様性は素晴らしい」と。

「各々が持つ色んな個性受け入れてこーよ」ってノリですね。

 

ここで考えてください。

 

これできてないですよね??

 

周囲とはちょっと違うやつがいたら、

そいつを煙たがったり、

問題児扱いしたり、しますよね?

 

まあそれは、

みんな=常識

端児=エラー。例外。

 

ってバイアスというかイデオロギーというか、

ができあがっちゃってるからです。

 

同質の人々をまとめるほうが統率・管理しやすいんですよね。

 

さきほどこのフレーズは僕には眩しすぎるといいましたが、

ほとんどの人もぼくと同じなんではないでしょうか。

 

現実世界ではこの概念が達成されてないんです。

そこには諦念も垣間見えます。

嫌なところは無意識的に見たくないっていうアレです。

 

きれいごとって守れないものです。

現実的じゃないですから。

わかっててもできない、もしくは忙殺の中で忘れているんですよね。

 

現実は、常識こそが正しく、既成権威がそれを強固にします。

一方で、逸脱は不正であり、既成権威がそれをより逸脱にしていきます。

 

現実の声は

 

先日、T_ritamaさんのブログ記事

私が休学を決めるまで - T_ritama’s diary

がかなり拡散されましたよね。

 

記事の中に

日本はレールから外れた人間に対して非常に冷たい社会である。

 

という記述がありました。

逸脱者はマイノリティーであるがゆえに、

社会から自由を奪われるわけです。

 

本当に言いたいこと

 

僕は、人のことはどうでもよかったり

人の感情を読めなかったりする時があります。

 

僕はそのいわゆるサイコっぽさが個性なわけでもあるんですよね。

だから僕みたいなっていうのも本当に恐縮なんですが

(自分なんかより本当に大変な思いをされている方がたくさんいらっしゃるので)、

もっと異端児を受け入れる体制が国内には必要だと思うんです。

 

これは法治国家である限り、法的措置を変えるしかないので、

それは容易ではなくあきらめの気持ちが積もってくんですが。

 

ただ本当に言いたいことは、

ここで僕がこういう異端児代表みたいな風に声明を出して、

彼らを引っ張って「変革だ!」って感じの

「いい人」を演じたいんじゃありません。決して。

 

現状で重要なのは、そもそもとして

「他人は他人なんだから干渉すんなよ」、「ほっとけばいい」

ってことです。

 

下手な慣れ合いをするよりも

尊重までしなくていい、無関心でいろって意味で、

全員が全員の最低レベルでの多様性を受け入れろ

ってことを主張したいです。

あとは個々で勝手に頑張ればいい。

 

みんながみんなを受け入れて尊重しあうなんて慣れ合いは無駄すぎる。

他者にかまわず自分が自分の効用を最大化するために

やるべきことに必死になるだけで充分だと思います。

 

みんなちがってんのは当たり前として、

いちいち構うな、みんなそれぞれが勝手に

頑張るんだからそれでいいだろ」

と言いたいです。

 

 

 

改めて、

自分すごい利己主義だ…